8月10日(土) 「紫微斗数雑話 雑曜① 文昌&文曲」
2013年 08月 10日
久しぶりのブログです。
昨日は、一日暑かったですね。
いかがお過ごすでしょうか。
今日は、「紫微斗数雑話」です。
細かい雑曜を、見ていきたいと思います。
今日は、「文昌&文曲」の双星です。
文昌は、みなさまも知ってのとおり、
文書・芸術を主り、文系の性格を主ります。
また、「正しい道の文才」とあるように、
正統派な星と言えるようです。
また、試験を主る星としても有名です。
状態がよければ、「試験の合格」を示す星です。
古い中華の地で、「試験」といったら、
官僚になるための「科挙」が有名ですね。
この試験は、隨代~唐そして清(1905年)
まで続いた、壮絶な試験だったようで。
何が壮絶だったかというと、
12歳から試験を受け出して高い位の官僚になるためには、
今の日本でいうところの、
東大に合格し→東大の大学院に入り→博士課程を修め
東大の教授になる。
この勉強量以上に、
難しいものだったと言われています。
かの有名な「水滸伝」の108人の豪志の中で、
この「科挙」に受かっていたと言われているのは、
「豹子頭林冲」と数名の勇者ですが、
現実は、「科挙」というのは、
「文科と武科」に分かれていて、
この水滸伝に出てくる豪志は、
「武科」の合格者だったようです。
現実の歴史の108人の豪志とはやはり、
頭の良い盗賊と、当時の政府警察との
戦いだったようで、それが語り継がれ伝説となり
ヒーロー物語となったようです。
現実の歴史は、もっと単調で人間的なようです。
当時の「武科」の試験は、名前が書ければ筆記試験は合格。
あとは、重たい石を持ち上げられるかとか、弓を射る技術や
拳法が、ブルースリーやジャッキーチェンのように強ければ
受かったようです。(笑)
また「文科」は、「進士の科・秀才の科・天才の科・仙人の科」などに、
時代によって分かれていました。
「進士の科」は小さいころからすべての試験に合格してきた、
エリート中のエリート。
「秀才の科と天才の科」は、その時代の帝王に気に入られた、
幼い天才児がとりたてられました。
「仙人の科」とは、その時代に現れた超人的な人間が集められた科
だったと言われています。
李 白(り はく)701年 - 762年は、中国盛唐の時代の詩人でしたが、
この時代にかれは「仙人の科」にとりたてられたそうです。
と。。。
かなり脱線しましたので(笑)
話を元に戻しますね。
このように、状態の良い「文昌」は、
「科挙」に合格できるような知識人になる可能性を秘めた星です。
そして、それは文系の分野で花開く可能性があります。
文昌は命を守り。
廟・旺(エネルギーの良い場合)は、「文章蓋世」
といわれ、文章、世を蓋(おお)う。
蓋(ガイ)=ふたをする・かぶせる・おおう
=その人の文章が世を蓋う=文章で有名になる
意味がありそうです。
だた、陥にある「文昌」は、命を守るが、落とし穴には落ちる。
口の才能があり。色々な技や芸に巧みだそうです。
また、文昌・文曲ともに紫微斗数の中では文曜を
表し、穏やかで雅やかな星と言われています。
なので、主星に凶星が同会した場合でも、
その荒々しさを緩和してくれると言われています。
また、文曲は文昌と比べ、陰の星となり、
文書や学術を主るのはいっしょですが、
理系の人と言われ、道は狭く口が達者、
数字にたけた人物となる。
文昌が正統派の道を行く星とするならば、
文曲は「異路の巧名」と言われ、
才能豊かで芸術家など、体や計算や頭脳を
使って発展する人が多い。
ただ、主星との組み合わせや、凶四化がくっついた場合は、
その限りではなくなるようです。
文昌・文曲は先ほども書きましたように、
繊細な頭脳の星ですので、
凶星と同宮した場合は、
その影響をもろに受けてしまう場合がありますね。
また、「文昌・文曲」はあくまでも雑曜なので、
14主星よりは、その宮への影響力が
弱いことを考慮に入れて
判断して行かなくてはなりませんね。
以上です。
またの、紫微斗数雑話・雑曜②をお楽しみに~♪
