「占術雑話」
2020年 06月 12日

みなさま、こんばんは。
本日は雨の中を、電車移動中の
UPにございます。
金曜日の夜を、
いかがお過ごしでしょうか。
本日は、占術雑話でございます。
四柱推命や紫微斗数の東洋の
占術の海外の書籍を読んでいると、
必ず、その占術の古典書の名前が
出てきます。
また、古典占星術の海外の書籍を
訳しながら読んでおりますと、
やはりギリシャ語の古典書の名前や
それを書いた人物の
名前がたくさんでてきます。
逆に、モダン占星術は、
私が子供の頃から
星に親しんで来た
大好きな占術ですが、
多種多様の技術開発と
コンピュータの導入により、
古典占星術の古い技法とは、
全く別の技術がたくさん取り入れ
られて、個人としての人を見る技法が
秀でた占術へと躍進いたしました。
ただ。感情の上がり
下りを読み取る事は得意であっても、
運勢の吉・凶、生きるか、死ぬかを
見ていく事に対しては、古典占星術以後、
そのような技術に注目度が薄く
なりました。
それは、古典からの占いと
医療の分離にて、そのような
みかたをしてはならないという、
西洋占星術の近代の歴史に
よるものと思われます。
ただ、師匠の塩島郁幸先生
の古書書籍や、その後に
カルチャーにて
教えていただいた
門馬寛明先生の先生の冊子や
ご本には、かなり体の部位と、
病気や死についての資料が
多くありまして興味深いです。
しかし、古典占星術ではなくて、
モダン占星術の技術のみで
人の亡くなる
年と時期を見た場合に、
古典占星術や四柱推命、紫微斗数
などの技術を用いる場合より
やや読みが甘くなるのは
否めないのかもしれません。
逆に古典占星術は、その分野に
秀でておりますが、個人の性質を
細かく見る事は、モダン占星術
の方が、得意ですね。
また、日本で発展した東洋占は、
つい最近の書籍にまで、病気や
体の弱い部位の象意があります。
四柱推命という占術は、
中国伝来の古典技法を忠実に
守ってきた流派は、その吉・凶の
シャープさにかなう占術は
ないかもしれないなと思います。
タブーと言われる病気や死に
対しても、怖いぐらいに
その通りに、大家さまの
お言葉の「操り人形」の
ように、人の運命がその命式通りに
上がり下りするのを、
20年近い四柱推命の研究の中で
見てきて、本当にこれはヤバイな
と青ざめながら、みた命式の
方が、その時期に病気になり、
最悪死に至る現実をまざまざと
見させられてきた20年間でありました。
私には、現実を見るためには
東洋の占術の技法は、
外せない技術となっております。
モダン占星術を学んできて、
やや社会の厳しい現実的なご相談に
乗るには厳ししいところが
あると感じたのが、20代の頃で、
35歳で東洋占術の世界にその
今まで見られなかった厳し世界に
対する判断技術を求めました。
今日、私がこの場所に立って
いられるのは、過酷な現実を
生き抜く力を教えてくれた、
四柱推命や紫微斗数の技術と、
卜占の占的の考え方を取り入れた、
タロットリーディングの
技術のお陰かなと思っています。
占術はどちらが正しくて
どちらが正しくないとかではなくて、
人間と一緒で、占術はその歴史によって
長所や短所といった、適正が
あると私は思っています。
たくさんの占術を学ぶ事は、
私達に、様々な深い世界を
教えてくれて大変勉強になると
私は思います。
今後の課題は、古典占星術を
ゆっくりライフスタイルと
して死ぬまでには、そのなんたるかを
語れるように、
7つの星を用いる古の技術を、
海外の古典の翻訳の
本などを読んで学んで行きたいと
思っております。
占術の技法の学びと研究は、
本当に尽きることがないと
感じている今日この頃であります。
本日の占術雑話は以上でございます。
明日も元気にお会いいたしましょう!
